BABY-G Presents Girl's PARTY!

LIFE STYLE

Maybe!×BABY-G タイアップ企画

いまMaybe!が注目している女性クリエイター達12人インタビュー連載。憧れのクリエーターが自身のお気に入りのBABY-Gとともに、過去・現在・未来の制作活動について語っていただきます!

With BABY-G
Vol.12 映画監督
砂田麻美さん

自分が本当に撮りたいものを
追い続けていきたい

砂田麻美さん紹介

砂田麻美(すなだ・まみ)1978年生まれ。慶應義塾大学在学中よりドキュメンタリーを学び、卒業後はフリーの監督助手として河瀨直美、岩井俊二、是枝裕和らに師事。ガンを患った自身の父親の最期に迫ったドキュメンタリー映画「エンディングノート」(2011年)で初監督を務める。本作は数々の新人監督賞を受賞し、台湾・韓国でも劇場公開される大ヒットとなった。第二作目の「夢と狂気の王国」(2013年)では、「風立ちぬ」制作中のスタジオジブリに1年間密着。トロント国際映画祭正式出品。また、監督業と並行して小説「音のない花火」「一瞬の雲の切れ間に」(ともにポプラ社刊)を上梓。その他にも松任谷由実(荒井由実名義)の「ひこうき雲」MVやCM演出等も手がけている。

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テレビドラマから映像の道を志した

テレビドラマが大好きな子どもでした。私にとって、ドラマという「映像」から受けるインパクトは、他のものとは比べ物にならない強烈なものでした。小学3年生の頃には、当時大ヒットしていた「東京ラブストーリー」や「ひとつ屋根の下」などを夢中で見ていたのを覚えています。「将来は映像の仕事がしたい」と思い、映像教育のカリキュラムがある大学に入学。そこではじめて「ドキュメンタリー」に出合いました。
大学では、映像を自分で撮ってまとめる、という課題に取り組みました。学生は皆それぞれ自分でカメラを持って撮影に出かけて、撮ってきた映像を学校にある編集機で編集していました。放課後から夜中まで、しょっちゅう大学に泊まり込んで作業をしていたのですが、それが本当に楽しくて。そこで初めて「編集」という作業を体験して、とてもワクワクしたのを覚えています。撮り貯めたものを再構築して、別の世界を作り上げる過程が本当に楽しかった。この気持ちは、今も変わらないですね。
テレビドラマに影響を受けていたので、就職活動ではテレビ局を受けたのですが全て落ち、就職浪人をしてもうまくいきませんでした。これからどうしよう、と思いながら家に引きこもっていた時期、DVDをたくさんレンタルして、ずっと映画を観ていたんです。それまでの人生であまり映画に触れてこなかったのですが、この時期に観た映画の数々に、小学生の時にドラマから受けたインパクトと同じくらい強烈なものを感じました。ここで、自分の目指す道が、一気にテレビから映画へ方向転換して。「映画の道に行こう」と決めました。ただ、私にとって映画はテレビより未知の世界だったので、どうすれば映画製作に携われるのか全くわからなかった。とにかくきっかけを掴むために、河瀬直美監督のトークショーの後、待ち伏せして「カバン持ちでも何でもいいので、やらせてください」と声をかけたんです(笑)。その後、短い期間でしたが河瀬さんに師事できることになり、初めてプロの現場に足を踏み入れました。

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図らずも、父の最期を追ったドキュメンタリーが初監督作品に

その現場をきっかけに、映画のメイキング制作の仕事をするようになりました。学生時代の経験を活かし、自分で撮影も編集もやるということを続けていたら、少しづついろいろな方から声をかけて頂くように。20代後半には、岩井俊二監督のもとで仕事をしました。経理から編集までありとあらゆる仕事をやらせてもらい、2年程働いた後、是枝裕和監督のもとで監督助手をさせて頂けることになりました。以前から是枝さんにお手紙を書いてコンタクトをとっていたのですがようやくタイミングが合い、「歩いても 歩いても」という作品のスタッフに入れてもらえることに。当時30代を目前に控え、そろそろ「今後映画監督への夢を追い続けるのか否か、考えなければ」と思っていたので、是枝さんの現場に行って芽が出なかったらあきらめる、と決めていました。
是枝さんの元で監督助手として働きはじめて3年ほど経った2009年、父が末期ガンであることが発覚。少しお休みを頂くことにしました。
私自身普段からことあるごとにビデオカメラで家族を撮っていたので、ガンを患った父を撮り始めたのもその延長でした。最初から作品にしようとは全く思っておらず、むしろ、家族の映像が映画になるということは当時最も考えにくいことでした。是枝さんもかねてから被写体を家族にすることは反対していましたし。ただ私としてはそのまま撮らずに父を見送ることが難しく、「撮らなきゃいけないんじゃないか」という気持ちだったのです。だから、色々な葛藤はありましたが、今までと同じように撮り続けました。撮り貯めたものを編集しよう、と思ったのは父の葬儀が終わってから3ヶ月後。編集後、形になったものを是枝さんに見て頂いたとき「映画にしてみたら」と言われ、最初はすごく驚きました。まさかこれが初監督作品になるとは思っていませんでしたから。でも、是枝さんは適当なことを言わない方なので、「本当に映画になるかもしれないな」と思って。今まで「いつの日か自分で監督した作品を世に出すんだ!」と意気込んでいたけれど、思い描いていたものとは違う形で、図らずも身内のドキュメンタリーが『エンディングノート』という初監督作品になりました。この作品は本当に多くの方に観て頂くことができて。すごく喜ばしい反面、これは「映画という商品である」という部分と「自分の家族の記録である」という部分を切り離して考えることが難しくなった時期もありました。

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「編集」は「凶器」になりうると自覚しなければ、ドキュメンタリーは撮れない

「エンディングノート」公開後、ジブリのドキュメンタリーを撮ってみませんか、という依頼を受けました。1作目は図らずもドキュメンタリーになったけれど、2作目はフィクションの準備をしていたので悩みましたが、撮りたいという気持ちの方が大きくなりお受けすることに。でも、最初の数ヶ月は現場に行っても撮影させてもらえなかったんです。企画内容にOKが出ず、悩んだ挙句、プロデューサーの鈴木(敏夫)さんに「映画にしたいんです!」と言ったら「今までジブリの長い歴史の中でいろんなオファーがあったけど、映画にしたいと言われたのは初めてだから、いいよ」とおっしゃって。次の日から、突然門が開かれたかのように、宮崎(駿)さんをはじめみなさんを撮らせていただけるようになり、「夢と狂気の王国」を作ることができました。私の机を用意してくださり、一緒にお弁当を食べるなど、ジブリの皆さんが優しく迎え入れてくれた。毎日ジブリに通勤するような感覚で撮ることができたのは、本当にありがたかったです。
この作品では、「エンディングノート」とは異なる難しさがありました。特に「編集」という作業は、やりようによっては実際は幸せなシーンを不幸に見せることもできる、その人の人生を変えてしまえる「凶器」になりうるものなのです。ですから映画の作り手側である自分が、この「凶器」を持っていることは強く自覚しています。映像という「凶器」を手にしているという自覚を持った上で撮る、編集する、ということができないのであれば、ドキュメンタリーを作品として世に出すことは難しい、と、一作品ごとにその思いは強くなっています。この実感があるからこそ、これからも自分が本当に撮りたいものだけを追っていきたい、と強く思っています。

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監督業と執筆業を並行して続けていきたい

ドキュメンタリー映画2作品を経て、次回は自作の脚本でフィクションを撮る予定です。女性の一生、生き方を描いた作品になると思います。女性監督でも男性目線で映画を作る人はたくさんいますが、女性ならではの視点で撮られた映画がすごく少ないと感じています。だから、社会的な側面もふまえながら、私自身女性として日々感じることを描いた作品を撮りたいと思っています。
また、並行して執筆業も続けていて、小説やエッセイなど、常に何かしら文章は書いていこうと思います。書くことは、映画を撮るときとは別の筋肉を使っている感覚で、とにかく楽しい! 日常生活の些細なことや、映像では拾いきれないものをすくい取った作品を書いていきたいと思っています。

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着用モデルはコレ!

撮影スタジオ内は暗いので、ライトがつくBABY-Gが威力を発揮。そして、これから使おうと思っているのが、ストップウオッチ機能。脚本を書く際、ワンシーンの時間を想定するのに便利そうです。黒を選んだ理由は、ふだんファッションに明るい差し色を入れるのが好きだから。どんな色ともケンカしない黒だから、毎日使えます。

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※表示価格は、すべてメーカー希望小売価格です。

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